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- 仙台散歩「未来へ」


- ――― 最初に、市街地再開発事業についてお聞かせください。
- 山下 この計画は、5年くらい前から立ち上がっていました。私達、地権者は、街のあり方や所有ビルの老朽化等について、同じ悩みを持っており、勉強会を始めたのです。仙台市が、地下鉄駅出入口を整備することをきっかけに、事業が動き出しました。サンモール一番町にできる地下鉄新駅に直結したビルで、街の活性化を促し、仙台市の復興、発展に貢献したいと思っています。
- ――― 一番町とは、どのような街なのでしょう。どのような方々が街を創りあげているのでしょうか。
- 山下 ここで商売なさる方は、信用、信頼を大事にしています。お客様が安心して物を買うことができる場所と、認識していただきたいからです。私もそう思いながら、ボンボン会館を経営していました。お客様が「一番町で買ったものは、これだけ素晴らしいものだ」と思ってくださり、遠くからも一番町めざしておいでになる。それが一番町のあり方だと確信しています。藤崎さんを中心に、個々の店がオリジナル性を出しながら経営を続けてきました。個性があって、本物志向のお店ほど残っています。そして一番町の理事会やサンモール商店街などでは、様々な話し合いが行われています。これだけ都会的な一番町でも、結束力がある。逆に結束力がなければ、一番町とは言えないでしょう。一番町は、商店街としての歴史があり、仙台の商人にとって、まさに「一番の場所」だと思います。このステータスを一つの財産として継承していきたいですね。
- 山本 建設会社の仙台支店に勤務していたとき「中嶋シューズ」(現・M・M・Kシューズ)のお嬢さんとお見合いし、親父さんに「来い」と言われ(笑)、商売人になりました。親父さんからは商売人として厳しい指導を受けましたね。お昼も20分が限界です。それ以上食べていると、テーブルをひっくり返されましたから。私は、大学は立教で、フィールドホッケー部に所属していました。このときも、先輩の指導は相当厳しいものでしたが、親父さんの指導も、とても厳しく感じましたね。
- ――― 昔の一番町の様子をお聞かせください。
- 山本 高校まで、仙台で育ちました。子どもの頃、繁華街に行くというと、市電の一番町駅で降りたものです。中学、高校時代の娯楽は映画でした。仙台文化劇場、松竹、名画座など、いろいろな映画館がありましたね。また当時、文化横丁は、仙台一の飲み屋街でした。国分町は、銀行街だったのです。
- 神山 私も仙台育ちです。空襲後の青葉通のことも覚えていますよ。仙台駅の近くにガス局があって、そこでできた炭カスを道に撒いて、人力で固めて道路を舗装しました。それ以前の青葉通は、雨が降れば、泥沼みたいになっていたのです。
- 【古地図】大正末期の仙台市中心街 ―東二番丁小学校を中心として―
- ――― 一番町では、どのように仙台の伝統行事が行われているのでしょうか。

- 山下 仙台の初売りでは、一年の感謝をお客様に還元するという意味で、先客順に豪華な景品が用意されています。私が子どもの頃は、人々が唐草模様の風呂敷に景品をたっぷり入れて背中に担ぎ、歩いていました。最近は、景品をたくさん出す店が少なくなって寂しい感じです。今回の市街地再開発にあたって、元気が出るような仕組みがあるといいのでは、と考えています。
- 神山 28歳のとき、昭和30年代の中ごろに店を始めました。その頃の仙台七夕まつりは、ご来店くださる方々に、季節を楽しんでいただこうという、ささやかなものでした。店の家族や従業員が、仕事の後に残って、飾りを作っていましたね。今では大規模になり、観光バスまで来るようになりましたが、こんなに有名になるとは、あのときは思いませんでした。
- 山村 妻は、街の婦人会のメンバーと、野中神社の一角で、手芸品を作っています。できたものを七夕祭で販売することを、毎年、楽しみにしているようです。
- ――― サンモール一番町にある野中神社は、縁結びの神様だそうですね。
- 山下 お参りして縁が結ばれたという話をよく聞きますので、若い方達にも、たくさん来ていただきたいですね。商売繁盛の神様でもあり、この商店街のシンボル的存在でもあります。私も、大変ありがたく思っています。
- 山村 私も、週に3回くらいは行っています。静かで、雰囲気がある神社だと思いますね。ビルの谷間に小さな鳥居があって、細い参道を歩いていくと、絵馬を掛けられるトンネルみたいなところがあるんですよ。私の孫達も、絵馬を掛けています。知り合いも、だいぶ遠くから、お子さんの結婚のためにお参りしていました。その後、お子さんが、幸せに結婚なさってからも、通って来ています。この街に来た方には、ぜひとも、訪れていただきたい場所だと思います。
- ――― 東日本大震災のときは、どのような状況でしたか。
- 山下 東日本大震災は、本当に、未曾有の震災でした。我々も、日頃から防災・防犯訓練などはしていましたが、手におえない状態でもありました。お客様の救助が、できていなかったのでは、と感じています。震災当日、二番町の青葉区中央市民センターに多くの方々が避難していましたが、毛布は不足し、行政との連絡もなかなかつかないと聞いておりました。今回、再開発ビルに、震災時の対応を取り入れてもらえないかと、町内会からも要望が出ています。この経験を踏まえて、本気で取り組んでいかなくてはならないと思っています。
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- 理事長 山下晴也氏
(元ボンボン会館経営)
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- 副理事長 山村満明氏
(元山村歯科経営)
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- 理事 山本達夫氏
(M・M・Kシューズ経営)
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- 理事 神山誠氏
(学校食堂関係経営)